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妊娠記録その6 −その後。−
2か月経った今、
だいぶ気持ちが落ち着いてきたけど、
私本当に妊娠していたんだっけ? と思う自分がいる。

胎動もまだなかったし、
つわりが辛くて妊婦を楽しめていなくて、
妊娠した〜という喜びをかみしめる前だったので
うん、不思議な感じ。

でも、感情はうそをつかない。

友達に話をすれば涙が止まらないし、
妊婦や赤ちゃん連れを見ると
心の奥がギュッて痛くなる。

多分、笑顔も心から笑っていない顔になってると思う。

かんちゃんが天国に行ってから2週間後、
ブログにもアップした大きなイベント
「つながるマーケット」があった。

一応毎回代表として関わっていたけど、
今回はつわりもあって全然関われなくて、
でも、私がいなくてもちゃんと回っていて。

仲間に本当に感謝。
迷惑をかけちゃって本当にごめんね。

全然関わっていなかったけど、
行かなきゃいけないという、なんか強い使命を感じてた。

でも気持ちは全然ついていけてなくて。

たくさんの人に会って、妊娠のことを聞かれたり、
妊婦や赤ちゃん連れを見たりするのがとっても苦痛で、
前の日は全然眠れなかった。

そう、多分みんなに妊娠のこと言われるな〜と思ったので、
FBで事前にかんちゃんが天国にいってしまったことを
アップした。

自分の身を守るためにそうしたのだけど、
こうして文章にすると、自分の気持ちがすごくわかった。

そして、たくさんの人がとっても素敵なコトバをくれて、
たくさんの人が想ってくれていて、支えてくれていることを
とっても実感できた。

このたくさんのコトバが私を後押ししてくれて、
つながるマーケットにも行けたと思う。

本当にみなさんありがとうございました★


3月10日、当日。

朝から会う人会う人に
「大変だったね、辛かったね」などと声をかけてもらい、
ギュッてハグしてもらいながら、たくさん泣いた。

なかなか泣けなかったけど、
この日は本当に一日中泣いていて、
そして、いろんな人に温かいハグをしてもらい、
とってもとっても癒された!!

行ってよかった!

しばらく踊ってなかったアフリカンダンスのステージでも
思いっきり踊ることができて、とってもすっきりした。

やっぱり私は踊っていたい!!
動いていたい!!
って強く思った瞬間だった。


そう、思ったこと。
声をかけてくれるお母さんたちの中に
流産経験者がすごくたくさんいたのに驚いた。

初期から始まり、10か月で死産を経験したお母さんもいた。

流産死産だけじゃない。
みんなみんな、辛い経験をしている。
でもその辛い経験をばねにして生きている。

きっとまだ癒されていない人もいると思う。
比べることではないけれど、
私よりも辛くて苦しい経験をしている人もたくさんいると思う。

かんちゃんは私がもっと辛くなるからって、
5か月前でお空に行った。

すべて意味のあること。

この時期でつわりになったこと。
この時期で流産したこと。
この時期につながるマーケットがあったこと。

すべてが必然的におこっている。

流産したての頃に看護婦さんに言われた言葉。
「きっと何かのメッセージを残してくれたんですね。」

うん、今なら前向きに受け止められる。
あの頃から前進している。

周りの人から支えられて生きている自分を実感する。
それもきっとメッセージ。

かんちゃんがお空にいってしまってからあったこと、
これから起こるすべてのことが、
かんちゃんからのメッセージだ。

まだまだ 楽しい場所に行くのが少し辛いのだけど、
これも少しずつ。

自分の気持ちを置いていかないように、
ゆっくりゆっくり歩いていこう。
| comments(0) | - | by greenmay9
妊娠記録その5 ―ご供養、火葬―
ご供養や火葬、お葬式について。

まったく知識のない私には
とっても大変だった。

経験のあるYちゃんにいろいろと聞きながら
事を少しずつ進めていった。

事務的なことがすごく多かったので
非現実的な世界にいた私は
もっとふわふわとしてた。

まだ亡くなったことが夢のような中、
病院からもらってきた死亡届と火葬届を
土曜日に市役所に提出しにいった。

火葬する日程を決める。

お友達の副住職Sくんに
全体的なことを相談に乗ってもらっていて、
お腹の中の赤ちゃん=水子は彼自身も初めてで
自分でできる範囲のことであれば、
せいいっぱいやります。 と言ってくれていた。

火葬してご供養するのが順番らしく、
その通りに日程を組んでいたけど、
病院の先生に
「小さいから骨は残らないかもしれない」
と言われていたので、火葬場に確認してみた。

「15週だと、骨が残らないかもしれません。
私たちの出来る限りのことはします。」

といってくれたけど、
とっても小さなあかちゃんだったので
骨は残らないかもしれない。

何もない状態でご供養するよりは、
何か形があってご供養してもらいたかったので、
ご供養してから火葬することにした。

そして、その後のことで結構もめた。


埋葬する場所。

安易な考えで、
うちに置いておこうとか、
自然に還ると思い、自宅の木に灰を撒こうとか、
素人的な考えをしていたけど、
そんな簡単なことじゃなかった。

祖母のお葬式を取り仕切っていただいた
Mさんにも相談してみた。

水子の霊はいくつか選択肢がある。

1.水子の霊を祭っている場所に埋葬する。
これは、行く場所のない水子の霊をすべて一緒にして祭る場所。

2.お寺に保管してもらう
保管料を毎年払うらしい。 また宗派はどうなるの?という問題が。

3.ヒカルの実家青森のお墓に埋葬する(臨済宗)

4.私の実家のお墓に埋葬する(曹洞宗)


1は、本当に行き場のない水子が行くところだから、
行く場所がある場合は行く必要がないとのこと。

2も、行く場所がない場合。
水子を祭ってるお寺じゃないとできないし、
あまり例がないという。

3が一番現実的だとMさんに言われた。
私たちはヒカルの実家に迷惑もかかるし、遠いしと思っていた。

4は私が嫌だったけど、父親がそうしなさいともめた。

いつの話になるかわからないけど、
将来的には私たち自身のお墓に移す考えで、
とりあえず場所を借りるという感じで考えればいいと言われた。

そして、宗派のことでもけっこう話がこじれた。

ご供養してもらう場所の宗派と埋葬する場所の宗派。

でも、そんなのこんな短時間に考えられない。
ただでさえ現実に向き合えてないのに・・・
と思いながら、父親の想いなどを聞いていた。

結局は青森県八戸にある、
ヒカルの実家に預かってもらうことに。

「こんなにもめているから、灰も何も残らないかもね」

なんて話していた。


●2月26日火曜日 
ご供養、火葬の日。

とっても澄んだ青空の日。

私たちの気持ちを包んでくれている感じがした。

私とヒカルは喪服を着て、
子供たちも黒めの服で出かける。

お花、お供え物(牛乳、赤ちゃんせんべいなど)を用意して
Sくんのお寺に向かう。

今日は家族と
そしておじいちゃんが忙しい中一日付き合ってくれた。
本当にありがとう、おじいちゃん。

10時からご供養してもらう。
30分くらい、一生懸命お経を唱えてくれた。
Sくん、ありがとう。

大星火葬場の近くのピッツェリアで大急ぎでお昼を済ませ、
お花とお線香、ロウソクと
お供えするぬいぐるみやお菓子などを持って
2時前に火葬場に行く。

いろんな説明を聞いて、2時すぎに火葬が始まる。

子供にはあの生々しいあかちゃんを見せたくなかったけど、
私があまりにも頻繁に棺の中をのぞいては話しかけていて、
かずきも見たくてしょうがなくなってしまい、
時間がたってしまったあかちゃんを見せた。

そんなことなら最初に見せればよかったかな。

そういえば、おばあちゃんが亡くなった時も
棺にドライアイス入れていたなって途中で気づいて
31アイスを買ってはドライアイスをもらい、
棺に入れていた。

成人男性なら2時間近くかかるという火葬も、
胎児なので30分もかからなかった。

出てきた中には、骨があるように見えたけど、
たくさんのぬいぐるみや手紙、おもちゃを入れたので
灰と一緒になっていてわからなかった。

隅々まできれいに拾って、骨壷に入れてもらった。

不思議と涙が一滴もでない。

よかった、笑顔でかんちゃんを見送れた。

火葬が終わったあと、外に出てかずきが言った。

「あっかんちゃんがあそこにいる!
今お空に昇っていってる!」

子供には本当に見えるんだと思う。

そして、見えるようにかんちゃんも上がっていったんだね。

魂はいつでも一緒。
私たちはかんちゃんを忘れないよ。
天国で安らかに。

本当にありがとう、かんちゃん。
| comments(0) | - | by greenmay9
妊娠記録その4 ―手術―
2013年2月21日15時入院。

東京にいる母親が
それでも心配で帰ってきてくれて
1時間ほど付き合ってくれた。


母親の誕生日だったけど、
オメデトウを言うのも忘れてたね。
ごめんね。


行ってすぐに処置室に行った。

ラミナリアという、
子宮を広げる棒?を子宮に5本入れた。
ものすごく痛かったけど、
赤ちゃんが出やすいといわれ、その痛みに耐えた。

ラミナリアは時間とともに膨張して、
その間に子宮がゆっくりと広がるしくみ。

次の日の手術の時間まで約1日かけて子宮を広げる。
その間はあまり動いてはいけないので入院する。

先生と看護婦さんが
「もう一本いってみようか?やっぱりこれが限界か?」
などと話しながらやってた。
あまり前例がなさそうな感じだった。


その処置が終わり、
車いすに乗せられて、病院の個室までいく。

お腹がちくちくと痛んでいた。


その日担当してくれた看護師さんは
「私は助産師だから、あなたの気持ちはすごくわかる」
と言って、一緒に泣いてくれた。

母親の前ではなかなか泣けない自分がいたけど、
こうして同情してくれる周りの人の前では
涙が自然と出てくる。

その助産師さんが言ってた。
「お腹から出た赤ちゃんはみない方がいい。
その赤ちゃんがずっと脳裏に残るから」

そう言われていたけど、
赤ちゃんには絶対会いたいと思っていたし、
むしろ脳裏に残したかった。

16時頃から、
うちから持ってきた年賀状の住所整理をした。

無意識に持ってきたけど、
非現実的な世界にいた私にとって、
現実と向き合うことが怖かった。
だから、何かを無心にやりたかったのかも。

その日の夕方、
いつもすごくお世話になっているS助産師さんが
「これから夜勤なの」
と言って、部屋をのぞいてくれた。

その顔をみた瞬間に、号泣してしまった。
「辛かったね、苦しかったね」
そう言われることがなぜかすごく心地よかった。
理解してくれる人がいるんだって。

そのあと、友達のNちゃん(助産師)も顔を出してくれて
少しの間だけど、笑って話ができてよかった。
ありがとう★

夕食はつわりがあり、ほとんど食べれない。

なんて皮肉なんだろう。
赤ちゃんはもう亡くなっているのに、
どうして私のからだから
つわりはいなくならないんだろう・・・


夜は眠れなかった。
明日、何がおこるんだろう。
どうなるんだろう。
私のあかちゃん・・・


●2月22日金曜日

この日は朝から飲食禁止。

つわりもまだあるし、食欲はない。

全身麻酔した時に、
万が一嘔吐してしまった場合に、
飲食していると、詰まって呼吸ができなくなってしまうという。

11時点滴が始まる。

2度失敗された。
その腕が真っ青に腫れてすごく痛かった。

12時手術。

ベッドに乗って手術室に行く。
本格的な手術室。
手術前に名前を確認する。

K先生は、ずっと信頼している先生。
この先生でよかった。

付いている点滴に、全身麻酔の点滴を入れ始める。
先生に聞いた。
「先生、全身麻酔が効いたってのはどうやってわかるの?」
「私が、中村さん寝ましたか?って聞いたら、はい!と答えてください」
と、とっても素敵な冗談を言うので、笑っていつの間にか眠った。

はっと気づいたのは、意識的にほんの数分。
「先生、私の名前呼びましたか?」
と大きな声で聞いてしまった(笑)

もう30分経ってて、順調に終わったと言ってた。

早く、早く、赤ちゃんに会いたかった。

小さな棺に入った赤ちゃんを見せてもらった。
10cm程の小さな私の赤ちゃん。

手や足や、そして目も鼻も口もちゃんとあった。
少しふっくらしていて、とってもかわいらしかった。

涙が止まらずに、棺を抱きかかえて
「先生、看護婦さん、本当にありがとうございました」
とお礼を言ったら、
看護婦さんたちも涙をして頭を下げていた。

私の子宮の中もきれいになったと
先生が教えてくれた。

全身麻酔が抜けて、意識がはっきりするまで
16時ころまでゆっくりさせてもらった。

それでも小さなお産だったので、
産後の症状がしばらくあると先生が言ってた。


術後もつわりの感覚がなかなか抜けず、
食欲はあまりない。

何度も何度も棺を開けて、
あかちゃんを見てはなでていた。

「ごめんね、ごめんね、
こんな形で出会うなんて本当にごめんね」
| comments(0) | - | by greenmay9
妊娠記録その3 ―15週の流産―
2月18日月曜日。
妊婦検診。

この日は夫がお休みで、
普段夫は土日お休みがなかなか取れず、
子供もお父さんとあまり遊べないので、
かずきも保育園お休みの日。

みんなを残して、私一人で検診へ。

今回から助産所での検診。
以前からとっても信頼していたK助産師さんが担当だった。
話を少しして、エコーをみる。

「あれ、心臓が見えない〜
私のやり方が下手だから、上手な助産師呼んでくるね」

F助産師さんがきた。
「おかしいね、動いてないね。心臓も見えないね。」

私は
「へぇ〜こんなこともあるんだ。」
なんて言ってた。


すごく動揺してた。
心臓はドキドキいってた。

助産所の隣にある市民病院の先生のところへいく。
K助産師さんがずっと肩をさすってついてきてくれた。

私は震えが止まらなかった。
きっと間違いだ。
先生のところに行かないとわからない。

待合室で待ってる間も、ずっと震えてた。

先生に呼ばれ、エコーで見てもらった。

いろいろと説明してもらい、
「赤ちゃんの心臓、動いてないね」

この言葉を聞いて、私はベットの上で泣き崩れてしまった。
声を出してたくさん泣いた。
たくさんたくさん。

まだ何も考えられなかった。
どうしてなのか。
何が起きたのか。
赤ちゃんはどうなるのか。

ただただ悲しくて。

その後すぐに、手術の説明があった。
頭はボーっとしてるし、よくわからなかった。

看護師さんが
「赤ちゃんはきっと何がメッセージを
残してくれたのかもしれませんね。」

この言葉が私にはとても胸に突き刺さり、
「流産したての人に言う言葉じゃない!」
って心の中で叫んでた。


病院からヒカルに電話した。
涙が止まらなくて、言葉にならなかった。

病院から家までの20分間、
運転しながら、大きな声でわんわん泣いた。

うちに着くと、
家族みんなが私を迎えてくれて、
みんなでギュッとハグしながら泣いた。

ヒカルは子供たちに流産したことを話してあって、
子供たちも私をギュッてしてくれた。

よかった。
一人じゃなくて。
みんな家にいてくれてよかった。


次の日、もう一度手術の説明を受けに病院へ。
先生と話をした。

8週前の流産は、7人に1人の確率でおこる。
日帰り手術で全身麻酔して胎児を出して、
その日に退院する。

私も過去に2回初期流産をしたけど、
そういえば胎児はどうなったんだろうと思って聞いたら、
廃棄物として捨てられてしまうらしい。

命にはかわりはないのに、どうして・・・

12週以降は、廃棄物として捨てるのは法律で許されていない。
一人の人間としての命になるらしい。

12週以降の後期流産は、50人に1人の確率らしい。
先生に珍しいと言われた。

胎児が弱ければ、8週前に亡くなってしまうらしい。

でも15週までお腹にいた赤ちゃん。
原因はわからないって言ってたけど、
先生は恐らくへその緒が巻きついてしまったか、
血管が傷ついたり、何かの原因で栄養がいかなくなったか。
といってた。

15週の検診で気づいたけど、
亡くなったのはもう少し前らしい。

胎児が亡くなったままお腹に長い間いると、
胎盤が子宮からはがれなくなるから、
手術は早めにと説明を受けてくる。

子供のこともあるし、夫の仕事のシフトもあったけど、
早めに出してあげたかったので、
2月21日に入院して、22日に手術することにした。

事がトントン拍子で進むので、
気持ちがついていかれず、
非現実的な世界で生きたいた。

家に帰ってきても、私のお腹はまだ大きくて。
赤ちゃんも中にいて。

18日から毎日、かずきとめいには
あかちゃんが亡くなってしまったことを話してた。

5歳のかずきは、布団にくるまってシクシクと泣いていた。
「かんちゃん天国に行っても元気でね」

ありがとう。
子供たちに救われた私の気持ち。

本当にありがとう。
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